ジゴクの続き
大切なのは、「理解していないのに判ったフリをしてはいけない」ということだと思います。
理解できないことは、ただ理解できないのだと受け入れるしかないのでしょう。
私は兄が理解できません。
兄の生き方、人生、何もかもが。
兄が倒れてから、兄の会社の資料を探すために兄の部屋の中を捜索しなくてはいけなかったり、兄の同僚とお話しさせていただいたり、兄の会社に行って私物を引き取ったりしました。
判ったことは、兄がいかにその場しのぎだけのいい加減で不摂生な生活をしていたかということだけで…その生活に寄り添う兄の心情は全く理解できません。
そして…私にはもう兄を理解することはできなくなりました。
担当医から、兄の回復は見込めないということがはっきりと示唆されました。
このまま植物人間状態が続くだけで、意識が戻ることは無い。
むしろ、植物人間として生き続けるというのが最良の状況であって…病状の悪化によってはあっさり死ぬ可能性もある…。
後は一つ一つ淡々と…やらなくてはならない処理作業をやっていくしかないそうです。
こんな状況の中で…とある美術館の企画展の招待券をいただきました。
その展覧会のテーマは…『地獄』。
こうやってキーワードとしてまた『地獄』がやって来るのは、もはや笑うしかありません。
死んだ先にあるのが地獄なのではなく、今ココにあるのが地獄なのでしょうね。
HELL
緊急手術から3日経ちましたが、兄はまだ意識不明のままです。
明日、ようやく担当医にお会いして現在の状況が説明していただけることになりましたが…。
今年のN展に挑戦するための作業も滞っています。
幸い七宝は材料さえあれば、1週間の突貫作業でも何とか作品を完成させることはできますので…まだ時間的に余裕があります。
ただ…兄が倒れたことで、作品の内容は大きく変わることらなるでしょう。
私は先週まで考えていたプランを捨てました。
私は、次の作品はできれば軽やかさと流麗さを表現したかったのです。
前回の作品が重く、グツグツと煮たぎっているような作品でしたので。
しかし…作品とは、どうしてもその時の作者自身を映す鏡です。
今の私は重い作品しか作れないと思います。
それと…作品というものは、「何かの力によって作らせてもらえる」ものでもあります。
もちろん、作者の強い意志で覚悟をもって「作り続ける」ことができなければ、完成はしないのですが…作者個人の力だけでない、何かの導きというものが確実にあります。
思えば、今年の春に日工会展に出品した作品に、私は「ぱらいそ」というタイトルを付けました。
「ぱらいそ」とは、隠れキリシタンの用語でPARADISE、天国を意味します。
そして今、私の脳裏に浮かんでいるキーワードは「地獄」です。
兄の手術の付き添いで病院の家族待機室に7時間籠もりましたが、その時ずっと考えていたのは「ああ、これから地獄になるな」ということでした。
そして家に戻り、兄が倒れる前に自室の冷房を付けっぱなしていたので…数年ぶりに兄の部屋に入り、エアコンの電源を切ったのですが…。
兄の部屋を見て「これからが地獄なのではなく、今までもずっと地獄だったんだ」と気付きました。
その後、ふとテレビを点けてみると…お盆だからなのでしょうか、たまたま画面の中でやっていたアニメが「地獄巡り」をしていました。
シンクロニシティ…こういう時、キーワードが繋がると「天啓」を感じます。
つまり私は「地獄」をテーマに作品を作らなくてはいけないのです。
軽やかさや流麗さに憧れを持っても、私の作品は今後、どんどん重くなっていく。
もっともっと重く、鑑賞者に一撃でゾッとさせる作品を目指さないといけない。
そういう流れに自分がハマッてしまっていることを自覚しました。
REAL IS HELL
「この世は地獄よりも地獄的である」と書いたのは芥川龍之介だったと思う。
本物の地獄なら「地獄なんだからどんなに辛いことも仕方ない」と全てを諦めることができるが、現世にはなまじ「希望」があるから何もかも諦めきることができない。
「希望」の存在こそが、この世を地獄よりも地獄的にしている。
今朝、兄が脳梗塞で倒れた。
私は病院に付き添って行って、丸一日、家族控え室で過ごした。
数年前に父が大動脈瘤破裂で緊急入院した時と同じ病院で…控え室も同じ場所だった。2度目だ、多少は落ち着いていることができる。
医師と一対一で、深刻な病状の説明を受けることも…もう数回目になる。
全てはなるようにしかならないのだと諦観することにも慣れた。
そして、これからも家族が入院する度に私はこういう厳しい場に立たされ続けるのだということも受け入れている。
しかし…私が倒れたときには、私のために動いてくれる人は誰もいないのだろう。
兄は、母が「脳梗塞ではないか?」と気付いたから…初期治療を受けることができた。
私が倒れるとき、私の異常に気付いてくれる人はいない。
今朝、兄に起きたのと同じ事が私に身にも起こったとしたら…私は病院に連れて行ってもらうこともできないで死んでいくのだろう。
それさえも、私は受け入れ、覚悟していかなくてはいけない。
私はすでに「地獄」にいるのだ。
兄の緊急手術は、取りあえずは成功した。脳内の血栓は取り除くことができたらしい。
しかし、予断の許さない状況は続いている。
Reboot
今日はn展で活躍されているM先生のお宅まで、先日の講習会の時に置いて行かれた荷物を届けに行きました。
そして、お茶をいただきながら、M先生に色々と作品作りなどのことについて詳しくお話を伺うことができました。
お忙しい中、お時間をいただけたことに感謝致します。
さて…今年もまたn展に挑戦する作品を作る時期となりました。
今までは2回チャレンジして、2回とも落選。
なかなかキビシイですが、今年もトライします。
アクセサリーことも、自分なりに回答を出しました。
これからも作成するアクセサリーの大きさは、今と同じにしようと思います。
小さいアクセサリーでは、技術が向上しないと思うのです。
そして、大きいサイズのアクセサリーで、お客様に受け入れていただくモノが作れるようにならなくてはいけないと感じています。
そのためには、デザインと技能の向上に努めないと…。
言葉と作品
作品を観れば、その人が理解できると思います。
日曜日に、久しぶりに「言っていることと、やっていることが違う」人に出会いました。
とても魅力的で前向きで素晴らしいことをおっしゃる方なのですが…作っているモノは全然違うのです。
作品は、その人自身の内面を向いたまま…閉じている。
他人の作品を理解しようという気も、他人の作品に対する興味も無い。
どんなに口では素晴らしいことを言っていても、作品を観れば判ります。
言葉では、幾らでも調子の良いことが言えます。頭の良い人なら、相手に合わせて言葉を操作することもできる。それもまた才能です。セールスマンなら大きな武器となるでしょう。
しかし、作り手は…発する言葉以前に作品で評価されます。
だから言葉と作品が合っていないその人を…私は信用できない人間だと思いました。
翻って、自分の作品を見つめ直してみました。
私の作品は…ダメですね。
作品が研ぎ澄まされていない。アマチュアの甘さが作品にこびりついている。
大人として自立していない、子供じみたままの…酷い出来映えです。
これはもちろん、現在の私自身のみっともないゲンジツを鏡のように映し出しています。
私の作品は現在の私と完全に合致しています。
だから…私の作品は、これから先も売れないでしょう。
私自身が「生きる」ということについて、何もかも改めなければ。
完全敗北でした…。
8月6日に「真夏のデザインフェスタ」に出展致しましたが…。
私の作品は、全然、全く、少しも売れませんでした…完全敗北です。
ブースは何とかできたのですが、お客さんは全く来ていただけませんでした。
お隣のブースのおじさんが親しくお話して下さったのですが、「お客さんに受け入れないのは、デザインか値段か売っている人間かどれかが悪いからだろう」と辛辣なご意見をいただきました。
私はその全てが敗因だと思います。
今の私の作っているモノは、微妙に作家性がにじみ出していて、アクセサリーとしてはとても気持ち悪いのだと思います。
しかしながら、作家性を殺して売れそうな品を作るということは、今の私にはできません。
今の私は作家としての自分を成り立たせないといけない時期なのですから。
ゲンジツは、いつでもキビシイですね。
もう一つ隣のおじさんが教えて下さったのは「この会場を歩いている人たちを見てみなよ。アンタが作ってきたような大きなアクセサリーを付けてる子なんて1人もいないじゃないか」ということで…。
でも私が選んだ七宝の材料の銅板は、七宝教室ではとても人気のあるものなんです。
つまり七宝教室で「作る」のには、大きめのモノの方が作り甲斐があるから、この材料は人気があるのだけれど…買っていただくということになると、今は大きいアクセサリーは全く需要が無いということなのですね。
これは会場の出展している方たちの品を見ても明らかでした。
さらに売り子としての私の問題も大きいです。
私が一人でブースに居るというのも、お客さんを惹きつけられない大きな要因だと思います。
丸一日、アウェイな場所で針のむしろに座っていた感じでした。
いや、今の私にはホームな場所など無いので…これから、どこへ行ってもアウェイなのは変わらないでしょう。
どこへ行ってもアウェイ…今の私(と私の作品)を安易に受け入れてくれる場所も人もどこにもいないということを、骨身に染みて(徹底的に)理解させていただいたということを、今は感謝しないといけないと思っています。
全ての希望を捨てよ。リアリストであれ。
とにかく、これからのことを全面的に考え直さないとダメですね。