天国と地獄

「地獄で仏」と言うけれど、地獄で会える仏様は地蔵菩薩だけである。

夏の三井記念館の「地獄展」で壬生狂言に使う地蔵菩薩のお面を見たけれど、その眼が怖かった。

正直、鬼の眼よりも地蔵の眼の方が怖い。

地獄であったら仏の方が恐ろしいかもしれない。

 

兄が脳梗塞で倒れ、ほぼ植物人間の状態になっている。

意識不明だった兄が、ようやく眼を開けた時…その瞳は「地蔵」の様だった。

何も映っていない瞳。

大きく子供の様に見開かれているが…水晶の様に底が知れない。

恐ろしい瞳だった。

 

n展に挑戦した作品では、その瞳を作ってみようと思っていた。

 

「地獄展」で知ったのだけれど、実は地獄は時代を経るに従ってバージョンアップしている。

平安時代には血の池地獄などは無かった。

後の時代に創作され、付け加えられたものが多いのだそうだ。

そうして地獄のイメージは、どんどん膨らんでいく一方で…極楽の方は訳が判らない。

 

地獄絵図は、いつの時代にも数多く描かれているのに…極楽絵図というものは、そんなにない。

 

まあ、極楽…ただただ幸福な空間なんて想像しようがないのだから、仕方ないのかもしれない。

 

北欧神話などでは、戦士が逝く極楽には美女と美酒が待っている。

しかし仏教では、そういうものは戒律に触れる。

煩悩が許されないというか、煩悩を超えた世界では人は何をどうして生きていくのだろう。

何があれば幸福なのか?ただ仏の側にあることが幸福なのだろうか?

いや、そもそも「幸福になりたい」という思いさえ煩悩の1つであるから…ありとあらゆる願いを願うことさえ許されない。

 

極楽には何も無い。

 

タモリのテレビ番組で、「どうせボクらは地獄に行くのに決まってますから、地獄について勉強しておきましょう」というのがあったそうだ。

確かに、「私は必ず天国へ行く」と思っている人間はそうはいないだろう。

人は何かしら罪を犯しているし、どこかしら汚れているものだ。

 

それならば、全ての人間は地獄へ逝くものなのだろうか?

 

それもまた判らない。

 

n展に挑戦した作品には「密会 8月のオルフェ」というタイトルを付けた。

 

地獄で密会する魂…オルフェウスの伝説である。

8月と付けたのは、兄が倒れたのが8月だったから。

 

さて挑戦の結果は、どうなるだろう?